どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

64歳のアルバイト生活(ブログ名変更考察中)

天石門別八倉比賣神社のお話youtubeで発見

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天石門別八倉比賣神社に参拝したのは2018年なのでもう3年にもなるんですね。連休明けに参拝しようかなと思いました。天石門別八倉比賣神社はアマノイワトワケヤクラヒメジンジャと読んでいましたが、こちらの映像ではテンセキモンベツヤクラヒメジンジャとされています。どちらでもいいんでしょうね。

天石門別八倉比売神社に参拝 - どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

 

神官家系の谷さんの素晴らしいお話です。

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 天石門別八倉比賣神社(てんせきもんべつやくらひめじんじゃ)

大阪の百舌古墳と徳島の前方後円墳の違い 徳島がはるかに古い。

天石門別八倉比賣神社が建つ以前にスサノオ神の杉尾神社が建っていた。

杉尾山が御神体の杉尾神社があった。スサノオ神の神社。

1773年蜂須賀藩主が建て替えた。杉尾神社の廃材で建てた天石門別八倉比賣神社は社殿に彫刻もない。

アマテラス神は鶴と考えられていた。

江戸中期までは結界が張られ一般人は奥の院へ入れなかった。宮司か天皇家の人しか入れなかった。

結界の神には刀の神タケフツ神が祀られていた。フツは刀の風切音。フツの神。

石段を少し上がった正面にタケミカヅチノ神が祭られいる。タケフツ神の父で最高神。

アマテラス神の葬儀は八百万の神が参列した。先導はイマリ神で気延山頂上へ。

アマテラス神の遺言で鳥葬に付す。鳥に喰われて天空へ昇る。

鳥葬はゾロアスター教またはバラモン教の思想。

鳥に喰われたアマテラス神の姿を見てスサノオ神は逃走。

 アマテラス神の白骨遺体の上に五角形の石積み祭壇が作られた。

元々その祭壇の場所にはスサノオ神の亀石があった。

スサノオ神の化身は亀。アマテラス神の化身は鯨。

スサノオ神の亀石は1773年に下ろされ本殿の下に置かれた。

祭壇は東はタケフツ神、西はツクヨミノミコト神、南はアマテラス神、北はオオクニヌシ神によって守られている。

昭和15年の石碑。2600年祭は戦争祈願。翌年から大東亜戦争が始まる。

2600年前。紀元前660年にスサノオ神がウケイして王として即位。スサノオ神はすなわち神武天皇。天の安川のウケイ石が祀られている。

 

ここからは天石門別八倉比賣神社略記の解説

大日孁貴命(アマテラス神)は大日如来、すなわち空海の仏教

仁明天皇は空海のパトロン。仁明天皇は嵯峨天皇の第二皇子。

パトロンである嵯峨天皇と仁明天皇が神社をつぶしていった。

正一位の神社の社格制度は701年大宝律令にて規定された。

841年仁明天皇により正五位に格下げ。

1185年後鳥羽天皇により正一位に戻された。

杉尾山自体が御神体。

山頂にはアマテラス神に仕えた女性の予言者の古墳群がある。

 神殿裏の石段から上を黄泉の国という。

左右だけでなく東西南北にも守り神の塚を従えている。

古文書には初代アマテラス神の葬儀の様子が記されている。

八百万の神の先頭を歩いたイマリ神は2代目アマテラスとなり伊勢神宮へ。

その時の葬儀委員長はオオクニヌシ神。

松熊二神とはサルタヒコ神(別名、手力男命)とアメノウズメノ命の御夫婦神。

アマテラス神は初代は八倉比賣神社に2代目は伊勢神宮の内宮、外宮に祀られている?

内宮、外宮に分かれているということはお二人を呼んだということ。

天の岩戸神社はイマリ神を奉る。

八大龍王神社はオオゲツヒメ神を祀る。

西日本を制覇したスサノオ神はアマテラス神が亡くなられたので伊勢に呼んだ。

スサノオ神の幹部であるオオヤマノクイシンサン(?)タケフツのイカズチの神キブネの神カツラギの神(ヒトコトヌシ)が2代目アマテラスであるイマリ神を呼ぼうと言い出した。

スサノオ神はオオゲツヒメ神を呼んだ。

イマリが2代目アマテラスでトヨウケ - どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

 

大国主神がいたのは倭大国魂神社。

山川、穴吹、貞光、頂上は木屋平東宮御所神社これがインベ国。

アマテラス神は孫のニニギ神のためオクニヌシ神にインベ国を譲るように申し渡した。

オオクニヌシ神は断固拒否するもタケフツノ神の要請によりしぶしぶ承諾した。

インベ国の王はニニギ神となり、アメノフトタマ神がインベ国の大番頭となった。

小屋平の三木家はフトタマ神の神社。

(広浜神が古い名と言っているようですがフトタマ神の古い名と言うことでしょうか?よく聞き取れません。)

広浜神?は綿や麻を植えた殖産興業の神。

この神社はスサノオ神を拝んでからアマテラス神を拝まねばならない。

大泉神社には12段の神の棚田があった。当時は赤米を作っていた。

大泉神社の下にアマテラス神の神殿があった。アマテラス神の上に祀られる者とは。

大泉神社そのものを天乃真名井神社という。

マナイとはマナセ王のこと、アマテラス神はマナセ王の御妃。

13代マナセ王は日本には来ていない。

中東ユダヤから日本に国移しを目的に来た。高い文化を持ち込んだ。

最初は神山に文化を持ち込んだ。それからアマテラス神の拠点、気延山に。

アマテラス神の神殿跡にスサノオ神の亀石が無残に放置されている。

 その横にはアマテラス神の鶴石も同様に放置されている。

 かごめ歌の鶴と亀がすべったの後ろの正面は真名井神社、すなわちマナセ王。

アマテラス神の大神殿で葬儀。気延山山頂への入り口。紀元前の話。

 BC660年アマテラス神は神武天皇(スサノオ神)を認め王として即位した。アマテラス神は神山から降りて神殿を建てた。そしてこの神殿で亡くなり気延山山頂に運ばれた。

アマテラス神の大神殿跡には御神体としての鯨石がある。

スサノオ神が創った杉尾神社の守り神が凄いのはスサノオ神が王だから。

スサノオ神は気延山から見える眉山山頂に溶造皇神社を造った。

眉山麓の寺町にスサノオ神の見方の神々たちを奉る神社が並んでいる。

神武天皇像と明治天皇像と八阪神社を結んだ地点から西日本制覇に出発した。

淡路島を制覇後奈良を制覇し大物主神として祀られた。

大神神社の大物主神はスサノオ神(神武天皇)

 

ここからは大御和神社前での話し。

八倉比賣神社での初代アマテラス神の大番頭は大御和神社のオオクニヌシ神。

オオクニヌシ神なくしてアマテラス神は無し。

オオクニヌシ神は大御和神社を拠点として八倉比賣神社の祭事を司った。

アマテラス神が亡くなった時の葬儀委員長。

大御和神社の神紋は鍵。これはアマテラス神から預かったマナセ王の刻印を大切に保管し鍵をかけたということ。

アマテラス神にとってオオクニヌシ神は一番重要な事を託せる神。

愛宕神社と愛宕大権現は愛宕大権現が本拠。大権現というのはよほど素晴らしい神。

愛宕大権現はイザナミ神で火の神。

愛宕大権現を守るために愛宕神社が建てられた。

愛宕神はオオヤマクイ神の懐刀で知恵の神。(先のオオヤマノクイシンサンはオオヤマクイ神のことでしょうか?)

アマテラス神は亡くなる時、ニニギ神をオオクニヌシ神に託した。

アマテラス神はオオクニヌシ神に一番大事なユダヤの刻印を預ける。本来サルタヒコ神に預けるべきだがサルタヒコ神は戦地に赴いている。

大御和神社にはユダヤの刻印が彫刻されている。

 印鑑大名人の大御和神社は印鑑とユダヤのティアラも保管していた?

 

以上でこの回は終わっています。

専門知識が詰まった方のお話でかつ阿波弁なのでなかなか聞き取りにくいと思いますが概要は記載できたと思います。私も一応ネイティブなのですが、県内でも少なからず言葉や発音が違いますので間違いがあるかもしれません。

知識不足じゃ!と怒られそうです。