どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

64歳のアルバイト生活(ブログ名変更考察中)

黄泉の国 イザナミの死

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黄土色

黄土色は色の名称です。代表的な地球の土の色で、アースカラーなんて呼ばれてもいます。だから、黄泉の国の「黄」は土の色であるわけです。 

愛しい妻のイザナミを亡くしたイザナギは、妻恋しくてこう言います。 

美しき我が汝妹(なにも)の命を、子の一木(ひとつき)に易へつるかも

一木というのは、一匹のことらしいです。カグツチを侮蔑して呼んでいるのだと思います。易は取り替えるの意味です。結局、腹立ち紛れにカグツチを十拳の剣で殺してしまいます。

イザナギは妻恋しくて、黄泉の国へ行くわけですが、この黄泉の国は墳墓のことだと思うのです。 

イザナギはイザナミの墓を発いたのです。 

当然、イザナミは腐乱しており、その醜悪さに百年の恋も冷めたのでしょう。もちろん、永遠の眠りを妨げられたイザナミは、自らの醜い姿も見られて激怒します。 

ここから二人は180度転回して諍いを始めます。 

墓を発いたのは現実であっても、イザナミが激怒したのはファンタジーです。実際はイザナミの墓が発かれたので、イザナミ側の人間が激怒して争いになったのでしょう。 

実際にあった出来事として推測すると、イザナミ側の身内であったカグヅチが内乱を起こすのですが失敗し、イザナギによって粛清されます。 

その時イザナミが命を落とすというわけです。 

イメージ的にはイザナミの反乱ではなく、イザナミの意思とは別のところで起こった反乱のように思います。カグツチは捕縛され処刑されます。 

 

泣沢女神(なきさわめのかみ)

イザナミの遺体のそばで、イザナギは突っ伏して泣くわけですが、この時、イザナギの涙から生まれた神が泣沢女神(なきさわめのかみ)です。 

泣き女というのがあります。葬儀などの時に、報酬をもらって泣くという行為をします。涙は使者への贈り物のようです。 

韓国の泣き女が有名ですが、中国にもあり、古代では日本の各地にも存在したそうです。 

葬儀の時に、遺族(家族や親族)の代わりに故人を悼み、「悲しい」「辛い」「寂しい」などを表現するために大々的に、所によっては独特の節をつけて、一斉にあるいは延々と泣きじゃくることを以って生業(または副業)としたのが泣き女である。涙は死者への馳走であるとされ、一説には、悪霊ばらいや魂呼ばいとしての性格も併せ持つとされる。 

泣き女 Wikipedia 2018年11月14日6時40分

泣き女はシャーマンの性格があるようです。 

イザナミの死の場面で、ナキサワメが登場するのは、多分に泣き女の性格が感じられます。古代より泣き女の風習があったというわけです。 

日本においては、神話の中でも、妻のイザナミを亡くしたイザナギの涙から泣沢女神(なきさわめのかみ)という女神が化成している。これは水神とされているが、神名より古代から泣き女の習慣があったものと推測される。『魏志倭人伝』には死者が出ると、肉を食べず、喪主は哭泣するが、他の人は歌舞飲酒を行った(當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒)とある。『古事記』でも天若日子の葬儀で雉を哭女に任じるという話が登場する。朝廷の殯宮儀礼でも、哭女が呪術を唱えながら泣くというものがあった。『日本書紀』に登場する飽田女(あくため)の母は哭女を生業としていたようである。 

泣き女 Wikipedia 2018年11月14日6時43分

泣き女については東洋独自の風習というわけではなく、古代エジプトやヨーロッパにも類する風習が見られるようです。

ナキサワメは「香山の畝尾の木のもとにます」と書かれています。香山というのは香具山のことのようです。

畝尾は、畝尾都多本神社という神社が奈良県の橿原市、香具山の麓に鎮座されているようです。

ナキサワメをお祭りしているので、ナキサワメがこの世に成り出たのはこの地なんでしょうか?

ただ、香具山には次の物語があります。 

太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる。

 香具山 Wikipedia 2018年11月14日6時43分

阿波国風土記によると、奈良の香具山は阿波の地より別けられたということなのです。

畝尾の木という木があるのか、単に畝尾の地にある木なのか、または、うねった尾根にある木なのかわかりません。参考書籍(角川ソフィアのみ)では、うねった小高い土地の木、または、奈良県橿原市木之本町の地名としています。

なんにしろ、当ブログは阿波風土記を押しますので、イザナミ、イザナギの物語が展開されたのは、阿波の地で間違いないと思います。ですから、ナキサワメも阿波の姫であるとします。

アマノモト(またはアマノリト)山が古事記にある香山であり、そこで生まれたナキサワメが奈良の地に降り立ち、その地にあった山が香具山となったのでしょう。

アマノモト山(天の元山)。天の香具山の元山というわけです。 

橿原市/畝尾都多本神社

 

イザナミの墓

亡くなったイザナミの遺骸が埋められた場所ですが、古事記にはこう記載されています。 

出雲の国と伯岐の国との堺なる比婆の山に葬めまつりき。

出雲の国は島根県の出雲地方と考えがちですが、イザナミが亡くなった時代は、阿波(伊)の国で神生みをしている時代です。 

現在の出雲地方はスサノオが戦いに敗れて入植した地と考えられます。出雲の国名もその時に持ち出したものでしょう。 

この時代の出雲の国は伊予の二名の島のどこかにあると考えられます。 

出雲の語源ですが、太陽神を祭る天神族ですから、その敵は雲です。雲が出て太陽を隠すことは敵対行為であるわけです。だから、敵対する者のいる地域はすべて出雲と呼ばれたというわけです。 

「いづも」という音で考えてみると、「いづ」と「つも」に分かれます。「出づ」と「積も」とすれば、出でて積もるものを考えればいいわけです。これは河口の中洲、三角州があてはまります。 

「伊つ面」というのも考えられます。伊の面ですね。当ブログは面というのは港町的な意味だとしています。だとすれば、伊の国の港、転じて海に面した居住地域を出雲と呼んだのではないでしょうか。つまり、海人族の村です。 

だとすれば、海人族の王であるスサノオが入植した土地が出雲になっているのは納得できます。 

次に伯岐(ははき)の国ですが、これは「妣國」(ははのくに)が思い浮かびます。「妣國」は根の国であり、黄泉の国です。「岐」は分かれ道の意がありますから、伯岐の国は黄泉の国または、黄泉の国と出雲の間にある国ではないでしょうか。 

藤原宮跡から出土した戊戌年(文武天皇2年・698年)6月の年月が記された木簡に、「波伯吉国」とある。7世紀代の古い表記を多く残す『古事記』では、これと別の伯伎国という表記が見える。平安時代編纂だがやはり古い表記を残す『先代旧事本紀』には、波伯国造が見える。 伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となったという 

伯耆(ほうき)国 Wikipedia 2018年11月20日17時00分

比婆の山というのはどこなんでしょうか? 

式内社であるイザナミ神社は美馬市穴吹町に鎮座しています。後に出てきますが、橘の小門は現在の橘湾辺りでしょう。 

直線で結ぶと、間にある大きな山は高越山と中津峰山です。 

中津峰山も怪しいですが、現在も海の守護神として祭られているようですから、中津峰山は海人族(出雲族)のテリトリーと考えられます。 

それでは高越山かというと、出雲の国の境がこのあたりまであるとは思えません。もう少し小さい山の可能性があるのかも。 

いろいろ書きましたが、多くは郷土史家の方々が既に書かれていることです。念のため。