どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

64歳のアルバイト生活(ブログ名変更考察中)

淡路島の伊弉諾神宮に参拝

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神社めぐりを始めて初の県外神社

9月の3連休初日に神戸に行く用があって、時間もあったので淡路国一宮、伊弉諾神宮に参拝してきました。神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮icで降りれば近いのですが、明石大橋を淡路島に渡ってすぐの、淡路サービスエリアで休憩しようと思ったのが間違いの元でした。

明石大橋を神戸側より渡ります。生憎の曇天。 

連休初日とあって、淡路サービスエリアの駐車場入り口は大渋滞。どうしようか迷ったのですが、そのままハンドルを右に切って出口に向かい、高速を降りてしまいました。そのため、伊弉諾神宮までは一般道1時間の距離となってしまいました。

東浦の道の駅まで走り、休憩をしようと思ったのですが、考えが甘く、ここも人でいっぱい。しかたなくトイレだけ済まして山越えしながら伊弉諾神宮に向かいました。

淡路島の西のラインは観光コースからは外れているのか、意外と人は少なく、海は綺麗なのでお勧めです。淡路島の住民の方々の生活を垣間見ることができます。路は狭いですけどね。何度か走ったことがありますが、いつも同じ印象です。何はともあれ、1時間ほどで伊弉諾神宮に到着しました。カーナビ様さまです。

 

伊弉諾神宮に初参拝

参道入り口の大鳥居は、阪神淡路大震災で倒壊したそうです。これは新しい鳥居なんですね。

住所は兵庫県淡路市多賀740。式内社(名神大社)、淡路国一宮。旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊です。イザナミ神も祭られています。

『幽宮御記』に祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあるため、本来は伊弉諾尊のみを祀ったと考えられる。1931年(昭和6年)の「神社古文書写」に祭神に関する願上書があり、「当社は幽宮伝承(後述を参照)の神社で神位も一品の極位で、社格も官幣大社である。伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神が国産み・神産みを行ったのであり、『延喜式神名帳』所載の座数に関係なく2神が祭祀されるべきであるが、明治3年(1870年)に名東県より伊弉諾尊1柱とされた。これは摂社末社が公認されるのに不当である。1930年(昭和5年)本殿を開くと伊弉冉尊も伝来のまま祭祀されていたので、資料を添えて願い奉るとの内容で伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀る許可を求めたところ、1932年(昭和7年)内務大臣より「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可があり、正式に2神を祀る形になった。

伊弉諾神宮 - Wikipedia 2018年9月26日 (水) 10:56

名東県がイザナミを合祀することに反対したということでしょうか?名東県は当時の徳島県のことで、淡路島も徳島県だった時期です。徳島県にはイザナミ神社があったからでしょうか?/p>

古事記よればイザナギはスサノオの所業に大いに怒り、スサノオを海原より追放した後、「淡路の多賀にまします」とあります。多賀の地がイザナギの終焉の地、幽宮(かくりのみや)とされていますが、古事記には幽宮という表記は見当たりません。ただ単に「淡路の多賀にまします」と書かれているだけのようです。

余談ですが、スサノオはまるで台風ですね。太平洋岸で大暴れした後四国に上陸し、山岳地帯(高天原)にも甚大な被害をもたらします。 

さて、大きくて立派な鳥居の奥には、これも大きな狛犬が2頭座っています。

向かって左の狛犬です。アングルでもわかるようにかなり高いところにいて、巨大です。

向かって右の狛犬。玉を咥えているのかと思いきや、狛犬の舌のようです。

参道入ってすぐ右側の石碑です。神を敬いながら生活しましょうという趣旨のようです。

碑の下には「君が代」が刻まれています。

実はこの右側に「さざれ石」が展示されていたのですが、撮影し損ねました。石碑を挟んでいる石もそうなのかもしれません。

「さざれ石」とは小さな石のことですが、その小さな石が集まって大きな岩となったものを「巌」としているようです。

 今上陛下ご即位20周年記念の碑が共にあります。平成21年の碑でしょうか。

そして参道。

 映っているのは見ず知らずのご夫婦です。お許しを。なにぶん連休中なので、かなりな参拝者の方がいました。幟が立っているのは、この夜に「神楽」があるそうで、そのお祭りをやっていたからです。時間的に見ることはできませんでした。

 

追記:2018年10月14日

イザナギは淡路出身の有名人なのか

淡路島がイザナギの終焉の地、幽宮(かくりのみや)であるとすれば、イザナギは淡路の人だったのかもしれませんね。昔も今も、余生は故郷で過ごしたいと思うのは同じのような気がします。 

現在は伊弉諾神宮にイザナギの妻神であるイザナミも祭られていますが、名東県時代はイザナミをイザナギと共に祭ることは拒否されていました。 

イザナミは徳島県の美馬市にある伊射奈美神社に祭られております。黄泉の国での争いにもあるように、なんらかの闘争があり、お二人は袂を分かったのではないかと思われます。

喧嘩別れした夫婦を同じ墓に入れるというのは違和感がありますね。とにかく、阿波の古代史は闇が深く、国の意思によって隠蔽されている感が否めません。

参道を進みます。

 

社紋は菊花紋

参道を歩くと両サイドには石の灯篭が並んでいます。灯篭の一つ一つには金の菊紋があしらわれています。伊弉諾神宮の社紋は菊紋のようです。

 菊紋は皇室の紋章であると思われがちですが、菊紋はかなりな数の種類があって、皇室の紋章は「十六八重表菊」といって、画像と同じ16の花弁をもつ丸い菊が2重になった(つまり八重咲き)ような紋章です。灯篭の紋は「十六菊菱」というものです。

シュメール文明との関連

シュメール(シュメル)文明でも菊紋が使用されていて、シュメールと日本人との関係が取りざたされています。たしかにそっくりなんですね。天皇のことをスメラミコトといいますが、シュメールがスメラに変換されたと関連づけている書もあります。日本人がシュメール人の末裔であるか、または、シュメール文明を築いたのが縄文人であったのかは未知な物語ですが、魅惑的ではあります。個人の希望に寄せていくのが古代史の醍醐味かもしれません。

2つ目の鳥居の奥には、地元有志の方々の露天が開かれていました。お祭りなんですね。

鳥居をくぐり進むと池があり、橋が架かっています。正面は神門です。

橋の上から。よく整備されているようです。放生(ほうじょう)の神池。

橋を渡ると左手には手水舎があります。赤いのは旅行かばん。木の陰に女性がいます。

神門をくぐります。こちらの社紋は「十六菊」。菱型ではなく丸い社紋になっています。

 

追記:2018年10月28日

しばらく更新しなかった言い訳

伊弉諾神宮に参拝して1ヶ月がたちました。前回の続きを書くのには時間が立ちすぎていて苦しい。もう忘れてる部分があるし、もともと記憶力があまり無いのでどんなだったか忘れているのです。第一、続きを書くのさえ忘れていたから。 

うろ覚えですが、主に画像メインで書きます。

 

正門前から拝殿へ

一宮皇太神の文字。前回は神門と書きましたが、境内図を見ると正門と書かれています。

正門をくぐると正面には拝殿。

振り返るとこんな感じです。中庭(って言うのかな?)は結構な広さです。

拝殿からは少しずれた視点ですが

祈祷が行われていました。巫女さんが舞っておられて、優美な感じでした。 

向かって左にいる狛犬。

横から。

あきらかに脳天に角の痕跡がありますね。

狛犬(こまいぬ)とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。

飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。

狛犬 Wikipedia 2018年10月28日13時50分 引用

有角の方は狛犬ということです。飛鳥時代には左右とも獅子であったということですから、何らかのチェンジする原因があったということなのでしょう。日本人の創作では無いと思います。中国は左右とも獅子のようですから、中国より入ったものではないということのようです。 

やはり、ユダヤ教のユニコーンが関係しているのでしょうか?これはまたいずれ。

右側の獅子です。 

口を空けています。玉は咥えてないですね。

角を除けばほぼ同じものですが、狛犬と獅子のようです

境内をぐるっと見渡すと。

神楽祭り用の手作り感満載のステージがあったり、

昭和天皇が植樹された樹などがあります。

 

追記:2018年11月4日

伊弉諾神宮境内の続き

拝殿を右に回ります。

神馬がいました。

神社と神馬ってどういう繋がりなんでしょう。

奈良時代から祈願のために馬を奉納する習わしがある。奉納者は一般の民間人から皇族まで様々である。

小規模な神社ではその世話などが重荷となること、また高価であり献納する側にとっても大きな負担となることから、絵馬などに置き換わっていった。また、等身大の馬の像をもって神馬とすることも多い。

神馬 Wikipedia 2018年11月4日14時36分

生きた馬を奉納するということらしいです。絵馬や像は代用品なんですね。

拝殿の右脇から中門を望みます。

中門というのは初めてです。拝殿と本殿の間に中庭があるのも初めてです。さすがはイザナミ神宮ですね。

摂末社(せつまつしゃ)として左右神社が鎮座します。

左右というのはイザナミの両目のことですから、アマテラスとツクヨミをお祭りした神社です。伊勢皇大神宮の方向に位置するとありますが、本殿から見てということなんでしょうか? 

左右神社の右奥には住吉神社と鹿島神社が鎮座しています。

住吉神社は住吉三前神を祭る神社。

『日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神(読み同じ)と表記される3神の総称である。住吉大神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。

住吉は、元は「すみのえ」と読んだ。

かつての神仏習合の思想では、それぞれ薬師如来(底筒之男神)、阿弥陀如来(中筒之男神)、大日如来(上筒之男神)を本地とすると考えられた。

住吉三神(すみよしさんじん) Wikipedia 2018年11月4日14時57分

三前神と記載されていますが、「前」の意味は何なんでしょうか?

鹿島神社はタケミカヅチとフツヌシを祭る神社。フツヌシは古事記には登場しない神さまだそうです。タケミカヅチとは関係が深く、対で扱われることが多いとされています。

古事記編纂1300年記念の植樹と碑。

境内は明るくて人も多かったので、神秘的な雰囲気は全くありませんでした。次回は夫婦大楠。

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追記:2018年11月15日

神社めぐりがペースダウン

4月から始めた神社巡りですが、かなりなスローペースです。何社行ったんだろ?イザナギ神宮に参拝したのも9月ですから、2ヶ月も前の神社巡りを書いているわけです。

イザナギ神宮に参拝したのだから、10月はイザナミ神社だなとか思っていたのですが、年内に行ければいいほうだと思います。 

イザナミ神社は遠いしね。(と言ってもたかが知れてるのですが) 

まあ、ぼちぼちやります。

 

境内の巨木 夫婦大楠

本殿右のスペースに大楠があり、夫婦大楠として祭られています。鳥居もあります。

 鳥居をくぐります。かなりな大楠です。そして、なかなかの根張り。

右に回ります。

何故、夫婦大楠なのか分かりますね。 

大楠に見とれていたためか、社の画像を撮り忘れています。残念。まだ大楠の画像は撮っているのですが、これくらいで。

 

淡路祖霊社に参拝

さらに右側には神門(なのかな?)があって、奥には淡路祖霊社が鎮座します。 

淡路出身の英霊をお祭りしている神社だそうです。

最後に正面から。

竈神社(かまどじんじゃ) 根神社(ねのじんじゃ)

さて、本殿の裏を右から回っていきます。 

本殿左のスペースに出たところにある、竈神社と根神社です。

竈神社は奥津彦命(おきつひこ)、奥津姫命(おきつひめ)を、根神社は素盞鳴命(すさのお)をお祭りしています。 

本殿左のスペースより見た本殿。 

拝殿前に出るルート。右は袚殿。

前から。

三笠宮殿下が植樹された木。

古代人が力比べした力石

境内の一角に力石というものがありました。力比べに使われた石だそうです。

 

最後に由緒書きを掲載

最後ははしょって書きましたが、長期間かかってたいした内容ではありませんでした。機会があれば、再度参拝したいと思います。