どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

64歳のアルバイト生活(ブログ名変更考察中)

大八島後の六島

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瀬戸内海の島々

国生みにおいて、イザナギイザナミが8番目の大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)生んだ後に、さらに六島を生む表記がなされています。これは何なの?主に瀬戸内海の島や半島のようですが、記載する必要があったのでしょうか?よくわかりません。

たぶん瀬戸内海には海賊ならぬ海人族が群雄割拠していたのではと思います。それぞれが縄張りを持ち、近隣の瀬戸内海を支配していたのではないかと思うのです。それをひとつひとつ潰していったのでしょうか。文面は簡素で、想像の域を出ませんが。

然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。吉備の児島より天の両島まで併わせて六島。

  • 吉備(きび)の児島(こじま) 建日方別(たけひかたわけ) 岡山県児島半島
  • 小豆島(あづきしま) 大野手比売(おほのてひめ) 香川県の小豆島
  • 大島(おほしま) 大多麻流別(おほたまるわけ) 山口県周防大島
  • 女島(ひめしま) 天一根(あめひとつね) 大分県の姫島
  • 知珂(ちか)の島 天の忍男(おしを) 長崎県五島列島
  • 両児(ふたご)の島 天の両屋(ふたや) 不明

文頭に「然ありて後」とありますが、「然ありて」は接続詞で「そうして、そこで」という意味でしょうから、国生みが終わった後という意味でしょう。「還ります時に、」は何かを成して帰還しているということでしょうか。まとめれば「大八島を征服した後、続いて(ついでに)」みたいに思えます。行き掛けの駄賃ですね。

 

吉備(きび)の児島(こじま)

吉備は岡山県全域と広島県東部、瀬戸内海の島々(香川県の島を含む)に跨る大国です。児島は現在の児島半島です。児島が半島になったのは江戸時代の中期ごろ。干拓によるものです。それまでは島嶼であったようです。 

児島は半島ではなく島だったのです。 

島嶼(とうしょ)とは大小さまざまな島のこと。中国語では「島」とは別に小島を意味する「嶼」という言葉があり、これらをつなげて様々な大きさの島を意味する言葉ができた。常用外であることもあり、しばしば「島しょ」と表記される。

狭い地域に集中する2つ以上の島嶼の集まりを「島嶼群」、島嶼群の集まり、もしくは大規模な島嶼群を「諸島」という。諸島のうち列状に並ぶものは「列島」、塊状の形状をなすものは「群島」と呼ばれる。

島嶼(とうしょ)

(2018年7月29日 (日) 12:46 UTCの版)『ウィキペディア日本語版

神名は建日方別(たけひかたわけ)。建がついているので、吉備地方と戦争をやって占領したのでしょう。大八島を征服した後の話なので、この地域だけが抵抗していたのかもしれません。

 

小豆島(あづきしま)

香川県の小豆島のことです。明治維新後に徳島県であったこともあります。昔、バイクに乗っていた頃にツーリングで訪れたことがあり、かなり親近感のある島です。古代は吉備の国に属していたのですね。地図で見てもかなり大きな島です。

 

小豆島もヒメの神名がつく島で、大野手比売(おほのてひめ)といいます。国生みでは4件目ですね。ヒメのつく地は重要な地域と思われます。また、吉備の小豆島なので、穀物の名前が2重になっています。(吉備を黍とみなしてですが)穀物の名のつく地名も重要ポイントかもしれません。粟国しかりです。調べないといけませんね。

 

追記:2018年8月6日

大島(おほしま)

大島は山口県周防大島と書きましたが、他にもいくつか候補があります。つまり、わからないということです。児島半島~小豆島ときましたから、瀬戸内海の東方面かと思ったりして、地図を見たりしていたのですが、わかりません。何百年も研究されてて、意見がわかれるのですから、分からなくて当たり前、といえば当たり前です。

愛媛県大三島、福岡県の大島、長崎県の大島等、候補はかなりあります。小豆島の近場で言えば、小豆島の西南に大島という島があります。西側には鬼が島伝説のある女木島があります。女木島と男木島が並んでありますので、六島が近場であるとすれば女木島と男木島が両児(ふたご)の島かとも思えるのですが、先人の研究にはないようです。

香川県の大島は明治期後半にハンセン病の隔離地として療養所が置かれています。現在も国立療養所大島青松園が運営されていて、大島に渡るには無料の官営フェリーが出ています。島に神社は無いようです。神名の大多麻流別(おほたまるわけ)については不明です。

ハンセン病についてはろくな知識もない私が書くことではありませんので政府広報オンラインをご覧下さい。

 

女島(ひめしま)

大分県の姫島が候補とされています。大分県では、香川県の大島からずいぶんと飛びますね。香川県の大島の近隣には姫島(女島)という呼称の島はみあたりません。女木島はありますが、それらしくはありません。こうなると大島も瀬戸内海の西の方なのかなと思います。瀬戸内海を天神族が制圧したことの記載であるとすれば大分の姫島で正解かもしれません。

神名は、天一根(あめひとつね)とされています。壱岐の島の天の一柱(あめのひとつばしら)を思い起こさせるような名前です。柱というのは神さまを数えるための単位になっていますので、世界に一つの神さまと解釈できそうですが、根となるとまた意味が違ってきます。単純に知識なく考えれば、ルーツでしょうか。重要な国津神の一族が出た島なのかも知れません。

 

知珂(ちか)の島

長崎県五島列島が候補だそうです。瀬戸内海から大きく外れてしまいました。

値嘉島(ちかのしま)

長崎県五島(ごとう)列島の古称。知詞島とも書く。『古事記』に、大八洲(おおやしま)のほかに六島を生んだという伝説的記録の六島のなかに「ちかのしま」が含まれている。値嘉郷(さと)は五島列島と平戸(ひらど)島の両者をさすともいわれる。『肥前国風土記(ふどき)』によると、その昔、景行(けいこう)天皇が志式嶋(しじきじま)(平戸市志々伎(しじき))の行宮(あんぐう)に巡幸されたとき、西の海をご覧になり、第一の島を小近(おちか)(小値賀(おぢか)島)といい、第二の島を大近(おおぢか)(中通(なかどおり)島、または中通島およびそれ以南の島)とよび、遠くにあるが近くに見えるので近島(ちかしま)(値賀島)とよぶようになったと伝えられる。[石井泰義]

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 2018年8月2日

実際に五島列島の古称が値嘉島(ちかのしま)ならば、古事記の知珂(ちか)の島も五島列島で間違いないのかも知れません。当初の思惑からはずいぶん離れてしまいました。天神族の侵攻は、瀬戸内海の吉備地方から西にドン詰まり、大分県周防大島を平らげて、関門海峡を越えて長崎県五島列島というコースのようです。

神名は天の忍男(おしを)です。忍男というのは何か意味ありげですが、あまり情報がありません。そのうち出会うこともあるでしょう。詳細はその時にでも。

 

両児(ふたご)の島

問題のふたごの島です。どこの島かは特定はされていないそうです。ふたごというからには、2つの島が並んで見えるというのが必須でしょう。そんな島はいくつもありそうです。天神族が行きがけの駄賃で征服した島ですから、人が住めるサイズの島ということも必須です。限定的には瀬戸内海にある島としたいのですが、既に五島列島へ飛んでいますのでなんとも言えません。

地図で探したなら、少々こじ付けですが、香川県の広島、本島。本島には木烏神社というのが鎮座しており、御祭神が豪華です。

祭神は大国主神、天押立神、少彦名神日本武尊または 讃岐の国造武殻王の悪魚退治の案内役を勤めたとされる伝説の烏を祀ったと伝わる古社。 古くは木烏大明神と称した泊浦の産土神で、戦国時代より塩飽水軍の信仰を厚く得て隆盛した。 境内には本殿、幣殿、拝殿のほか、拝殿の左前に江戸時代築の常設芝居小屋である千歳座が現存する。

木烏神社(2018年8月6日 (日) 09:48 UTCの版)『ウィキペディア日本語版

武殻王の悪魚退治の話は面白そうですが、香川県坂出市のHPに載っている悪魚退治の物語には烏は登場しません。案内役の烏といえば、八咫烏を思い起こしますが、関係はいまのところ不明です。

神名は天の両屋(ふたや)。瀬戸内海の海に二つの屋根のように浮かぶ島が想像されます。他には特に深い意味などは感じられません。

ふたごの島については何もわかりません。研究者も不明としてるので仕方が無いですが、そのうちこじ付けます。私的には瀬戸内海ですべて収めたいと思っております。

五島列島が・・・。