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大麻町の宇志比古神社に参拝

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三間社流造(さんげんしゃながれづくり)とは

先日行った一宮神社の本殿が、三間社流造という様式で、寛永7年(1630)の建築ということなのですが、それよりも古い、〔桃山時代・慶長4年(1599)〕に建築されたという、鳴門市大麻町の宇志比古神社を参拝し、三間社流造の本殿を見てきました。

流造の構造は、切妻造・平入であるが、側面から見た屋根形状は対称形ではなく、正面側の屋根を長く伸ばす。屋根には大社造同様の優美な曲線が与えられる。この点で直線的な外観の神明造と異なる。

桁行(正面)の柱間が1間(柱が2本)であれば一間社流造、3間(柱が4本)であれば三間社流造という。
流造 (2018年6月19日 (火) 18:19 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

徳島に現存する本殿では最古のものだそうです。2000年(平成12年)12月4日に国の重要文化財に指定されています。重文の割にはあまり整備されてない印象でした。小さな神社で、地元の方以外はあまり訪れる方もいない感じです。今日は平日だし、誰もいませんでした。

鳴門池田線の交差点から見た鳥居と参道。

 

宇志比古神社(うしひこじんじゃ)へのルート

鳴門市大麻町の宇志比古神社は鳴門池田線を西に走ると、大谷焼きの工房が立ち並ぶ一角を抜けたところにあります。正確には、スーパーのキョーエイを左に見てしばらく走ると、右に入る道が何本かあるのですが、下の地図で見ると、3本目か4本目を入ると神社前にたどり着きます。少し狭い路ですが、神社前のあたりは結構開けていますので、対向に困るようなことはありません。

4本目は参道の鳥居をくぐることになります。4本目の入り口は、道路左側に堀江郵便局があります。郵便局を超えたすぐの信号を右に入ったところです。3本目と合流するまでは少し狭いです。4本目の前(鳥居のところ)に若干駐車スペースはありますが、神社前まで行って、東林寺の駐車場に留めさせていただくのがベストかと思います。東林寺にお礼のお参りもお忘れなく。

随神門(ずいしんもん)をくぐり拝殿へ

夜明け前は少し雨が降っていました。午前9時過ぎに参拝したのですが、天候は薄曇で、道路も建物も若干濡れている感じでした。

参道奥の上り口。随神門をくぐります。

屋根の頂上、ど真ん中に「丸に違い矢筈(やはず)」の神紋。御幕(おんまく)には「丸に橘」の神紋。神紋が2つあるのですが、普通なんでしょうか。拝殿の御幕も「丸に橘」。矢筈の神紋は他には見つけられませんでした。星マーク石碑にありました。五芒星というのでしょうか。

随神様。矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)とも言うらしい。

随神門の手前にいる狛犬。

随神門と狛犬の間には手水舎。狛犬、左に手水舎、随神門の順序です。

石段は短いです。

石段を上り詰めたところに拝殿。

拝殿の中は太い梁が。

拝殿の入り口には蛍光灯が光っていました。小さい神社なのに夜通しつけているのでしょうか。それとも宮司さんがいらっしゃるのでしょうか。左奥には居室のようなスペースがあります。拝殿に太い梁が入っているのは、これも何かの様式なんでしょうか。

壁の上のほうや梁に名前を書いた貼紙があります。先日の一宮神社の柱にも、銀座まるかんの斉藤ひとりさんの貼紙がありました。いたずらかと思っていたですが、こちらにも似たような貼紙があります。個人のお名前のようです。寄進でもされたのでしょうか。やはりいたずらではなく、意味のあるもののようです。

拝殿前の手水舎。ここにも龍がいます。

拝殿を右から回ります。右側は広場のようになっていて、石碑と小さな社がありました。

星のマークがあります。碑文は薄くて消えかかっていました。

小さい社。

 

三間社流造の本殿へ

第一印象は大きい。拝殿よりも大きい感じの本殿です。

そして立派。

綺麗で豪華な建築物です。最古という割には状態がいいんじゃないでしょうか。大麻比古神社の本殿も大きかったですが、それ以上に拝殿が大きかったです。宇志比古神社は拝殿より本殿が大きく見えます。ほかの神社は拝殿と比較して本殿は小さめでした。ちなみに、大麻比古神社の本殿も三間社流造だそうです。

画像の木々の間を入って本殿の裏へ回ってみたのですが、あまり整備されていなくて、本殿の周りを回るような作りではないようでした。回ることはできるのですが、行き止まりで、小さな崖になっており、崖下は拝殿の居室裏になっていました。

 

宇志比古神社の歴史など

創建年は不詳。天正年間(1573年-1593年)に長宗我部元親の乱入により社殿、古記録、社宝を焼失したが、後に再興された。江戸時代には八幡宮と呼ばれ、明治以降に宇志比古神社を称している。

宇志比古神社(2018年6月20日 (水) 22:59 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

明治以前は八幡神社だったようです。明治3年に民生局より八幡神社から宇志比古神社への改名を命ぜられたそうです。強制というわけですが、明治初期といえば、新政府が歴史の書き換え(仮定です)をしていた時期であると思います。八幡神社では、不都合なことでもあったのでしょうか?八幡神社は日本全国に44000社もある神社です。八幡神社が不都合ではなく、宇志比古神社の名を残す必要があったのでしょうか。

御祭神は以下の4神です。

  • 宇志比古尊
  • 応神天皇
  • 仁徳天皇
  • 神功皇后

宇志比古尊をウィキペディアで調べると丹波道主命が出てきます。

丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと/たにはのみちぬしのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。

「丹波道主命」・「丹波道主王」、『古事記』では「丹波比古多多須美知能宇斯王(たんば(たには)ひこたたすみちのうしのみこ)」と表記される。

第9代開化天皇の皇孫で、第12代景行天皇の外祖父である。四道将軍の1人で、丹波に派遣されたという。

丹波道主命(2018年6月20日 (水) 21:56 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

丹波道主命についてはまたの機会に調べたいと思います。

 

神紋について

神紋は2つあるようです。普通1つじゃないかと思うのですが、何故2つあるのでしょうか?

随神門にある「丸に違い矢筈(やはず)」です。拝殿や本殿にもあるはずですが、確認できませんでした。左右の鯉(ヒゲがあるから)がオモロイですね。とても昔の作とは思えません。

御幕にあるのは「丸に橘」。こちらは建物や石碑には見当たらない(見つけられない)ので新しいものかもしれません。建物は古いですからね。

  • 八幡神社の神紋 丸に違い矢筈
  • 宇志比古神社の神紋 丸に橘

かもですね。

 

昭和御大禮記念碑

拝殿横にある石碑ですが、文字が薄くなっており、読むことができません。星マークの左右には、右から、「昭和御大記念碑」と書いてあると思います。「禮」は「礼」の旧字体なので、昭和天皇が即位された記念の碑のようです。星マークは何でしょうね。一筆書きの星マークは、五芒星といわれ、平安時代の陰陽師 安倍晴明が使っていた紋です。昭和天皇と星マークの結びつきはわかりませんでした。

 

参道入り口の石碑

参道入り口。鳴門池田線のすぐそばにある入り口です。参道は300mほどあるようです。両側の注連石の奥に鳥居が見えます。鳥居手前、左には御神輿を置く台でしょうか。神社にはよくあるようです。右側には石碑があります。鳥居の奥には狛犬が居ます。

目的の石碑です。

上部には横文字で「義*正路」とあります。*が読めない(文字ははっきりしているが学がない)ので想像ですが、「義は、人の正路なり」という孟子の言葉の中にある一説ににています。「義とは人にとって誠に正しい道だ。」というような意でしょうか。

書き出しは、板野郡堀江村に廟あり、宇志比古神社~競馬の場に接する二等道路云々。・・・漢文なんか読めるか(涙)読めれば何の碑文かわかるのですが、読めません。

鳥居から随神門までは、約300mの直線道路です。馬場だったということでしょう。

後ろから4行目の下は「守銭之奴」とか後ろから3行目の一番上は「人面非人」とか、刺激的な四文字熟語が並んでいます。読めたら面白そうです。

まー本日は断念。最後に大正4年1月立石とあります。

 

あとがき

実は宇志比古神社の近くに、もう一つの宇志比古神社があります。当日は知らなくて、ブログ書いてて地図を見たら2箇所あるのでびっくり。小さな祠があるだけのようですが、近日中に行って、撮影してきます。宇志比古神社が興味を引く神社というわけではなく、県内最古の本殿があるということで参拝しました。近場なのでまた参拝したいと思います。