どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

64歳のアルバイト生活(ブログ名変更考察中)

天石門別八倉比売神社に参拝

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阿波史跡公園

梅雨の合間のピーカン日、天石門別八倉比売神社に行ってきました。連日、雨が降っていたのですが、この日は夏らしく青空が広がり、気持ちのよい一日でした。実は、神社は山腹にあり、山道だったので、めちゃ暑くて結構きつかったです。ですが雨よりは格段にましで、正に八倉比売からのプレゼントでした。 

吉野川北岸から眉山を望む

北岸の土手を西に走り、四国三郎橋を左折して吉野川を渡ります。鮎喰川を渡らない手前の土手を右折、最初の信号を直進して、次の信号を右折すれば徳島鴨島線に出ます。道なりに行くと、並んでいた店舗が切れて、少し開けた場所に出ます。「神山」の標識がありますから、その信号を神山側に左折。大きい交差点です。更に進むと、線路を越える立体交差を走り、国道192号線も横切り直進します。ほんの少し走ると阿波史跡公園の看板が見えるので、その信号を右折。突き当りを左折すれば右側に阿波史跡公園への入り口があります。

192号線を横切るのですが、グーグルマップでは直進した道も192号線になっているようです。

突き当たりの駐車場まで行くと、目の前に古代生活ゾーンがあります。

数日振りのいい天気だったので、近所のお年寄りグループがたむろしていました。その他には観光客らしき姿はなく、古代生活ゾーンの方に入っていくと誰もいません。お年寄りグループはウォーキングと雑談目的らしいです。古代生活ゾーンの奥は山道になっており、古墳群や八倉比売神社にも通じるのですが、勾配がきつそうなので引き返しました。

 

宮谷古墳

駐車場から公園入り口の方に徒歩で少し戻ると、左側に公園の管理棟があり、そこを右折して、山道を登っていくと宮谷古墳、八倉比売神社があります。宮谷古墳は山道の入り口左にあるので、上り口の脇にある感じです。綺麗に整備されているので気持ちがいいです。

古墳をぐるっと回れる道があるので、全方角から望めます。登ることもできます。

裏の道。休憩所みたいなのもあります。屋根のある施設です。

反対側から見た宮谷古墳。入ってはいけないのかと思っていましたが、説明板があるので突入。

宮谷古墳(みやたにこふん)

気延山(きのべやま)南東端の標高約50mの屋根上に3世紀末頃に築かれた、徳島下でも最古級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。

古墳は全長約37.5m、後円部で高さ約3mを測り、前方部がわずかな盛土による1段築成で、後円部は盛土と葺石(ふきいし)による2段築成と考えられます。

埋葬施設は全長約6mの長大な竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)で、内部は粘土床の上に舟底状の刳抜式木棺(くりぬきしきもっかん)を安置していたと考えられ、副葬品として小型重圏文鏡(じゅうけんもんきょう)や管玉(くだたま)、ガラス小玉、のほか、鉄剣、ヤリガンナなどの鉄製品が出土しています。

また古墳の墳頂部(ふんちょうぶ)や周辺部からは壺形(つぼがた)土器が大量に出土し、前方部斜面からは三角縁神獣鏡(さんかくぶちじんじゅうきょう)3面ぶんが出土しました。

鮎喰川(あくいがわ)流域は県下でも有数の古墳群(眉山北麓(びざんほくろく)・気延山古墳群)が形成された地域であり、宮谷古墳はこの地域における古墳の発生~展開を考える上で重要な古墳と言えます。

墳頂部。

同じく。

 

八倉比売神社

宮谷古墳を後にして、山道を登り始めます。舗装はしてありますが、勾配はきつめです。ウォーキングの方に何度か出会います。上に駐車スペースでもあるのか、車にも追い越されました。急ぐ旅でもなく、ゆっくり登ればいいやとか思いながらも、車でいけるのか・・・。とか思いましたよ。暑くて、山道なんて何年かぶりですから。

途中、右側に小さな社あり。

登ってみます。

松熊神社。 御祭神は手力男命(たぢからおのみこと)と天宇受女命(あめのうづめのみこと)でした。

手を合わせ、ふたたび登山。 今度は左側に墳墓らしきものが。

お参りして更に登山していきます。

神社の入り口はまだ見えません。思ったよりも山奥です。天気がよくてよかったと思いました。雨でも降ってたら、かなり薄暗いだろうし、足元はすべるかもしれないし、人にも出会わないでしょうから。人に出会うのが怖いほどの山中ではありませんから。

そして、鳥居が見えてきました。

 

天石門別八倉比売神社の鳥居をくぐる

山道を登っていくと鳥居が見えました。意外と小さい。そして新しい。木製のように見える鳥居です。小さいので末社かと思ったくらいです。比較対象を大麻比古神社としてはいけないのだと思いますが、私的にいえば、神社といえば大麻比古神社だったわけで、それに並ぶような大きな神社を想像していただけに、意外と言えば意外なサイズ。でも、近づけば「天石門別八倉比売神社」の文字が。「八倉比売神社」ではなく「天石門別八倉比売神社」なのです。

木の鳥居って始めてかも。でも、稲荷神社の赤い鳥居はきっと木製ですよね。

ちゃんと、「天石門別(あまのいわとわけ)」の文字もあります。

鳥居の左端で一礼して、鳥居に触ってみると木製です。それに新しい。木肌をいかしました。みたいな、床の間の柱によく有るようなデコボコした鳥居です。ウィキペディアを見ると、鳥居というものは神社ができる前からあったそうです。寺院に鳥居がある場合もあったり、神社に鳥居がない場合もあるということです。木製であることに意味はないようですね。木製はシロアリにやられないよう、地面には直接触れていないと書いてありました。「天石門別八倉比売神社」の木製鳥居も足元はコンクリートで固めてありました。

鳥居よりも気になったのは石段です。

上が見えない・・・ことはないけど・・・ッ遠い。 見上げれば鬱蒼とした木々。

途方に暮れる・・・・・・。

登らなければ来た意味がありませんので、ゆっくりと登ることにしました。汗がにじみます。体重を呪います。途中、何度か休みましたが、なんとか登りきることができました。 

   

天石門別八倉比売神社拝殿を望む

両側に狛犬を見て、正面に拝殿があります。

狛犬は画像を撮ってる左右にもいるので、合計4頭いました。実際には稲荷神社の前にも別に2頭いました。ウィキペディアによると、一般的には狛犬ですが、本来獅子と狛犬だそうです。

狛犬(こまいぬ)とは、獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け、参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。

飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが、現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している。

狛犬 (2018年6月2日 (土) 13:47 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

 石段を上ってすぐの狛犬を比べて見ます。

同じに見えます。両方とも狛犬、それとも獅子。 拝殿前の狛犬はどうでしょう?

こちらの方が年月を経ていますが、概ね同じのようです。 右側の方が玉を咥えていますが、何か意味があるのでしょうけど、それはまた別の機会に。 まずはお参りします。

神主さんはご不在のようです。普段は誰もいないのでしょう。女性の方がお掃除したり、整備されたりしていました。催し物があるとき以外は誰もいないのかもしれません。僅かですが、お賽銭を入れさせていただきました。

拝殿の周りを回ります。右回りです。右を向くとすぐに神社略記があります。

天石門別八倉比売神社略記

式内正一位 八倉比売神宮

御祭神 大日靈女尊(別名天照大神)

天石門別八倉比売神社が天照大神をお祭りする式内正一位の神社であるこがわかります。

天石門別八倉比賣神社略記を読む - どしゃ降りでもカッパ着て行くのだ

右に回っていくと、稲荷神社を右に見て正面に石段があります。その石段を上り詰めると、卑弥呼の墓ではないかと言われている墳墓があります。

卑弥呼の墓と言われている石積みです。卑弥呼は天照大神と同一という説もありますから、天照大神の墳墓なのかもしれません。屈指のパワースポットなのですが、私自身は何も感じませんでした。ただただ静かで、時が止まったような場所です。

木が鬱蒼と茂っていますから、管理されている方が、毎日掃き清めていらっしゃるのでしょう。綺麗に整備された場所となっています。大変失礼ながら、ぐるっと回りを回らせていただきました。もちろん触れてはおりません。画像も撮ったのですが、掲載はこの画像のみとさせていただきました。静かにお眠りください。

拝殿の周りをぐるっと回り、稲荷神社をお参りして、登ってきた石段ではなく、山道を下りました。稲荷神社の画像を撮り忘れていますので、やはり、何か抜け落ちたモノがあったのかも知れません。先ほどの墳墓が卑弥呼のものであったとしたら、このあたりが邪馬台国となるわけで、それを探求するのも楽しいかなと思います。もう少し歴史の勉強をしながら、次回の探索に繋げたいと思います。